03


「へぇ、大学生かと思ったら専門だったのかい」
「そうなんです。本当は就職しようと思ってたんですけど、資格とか持ってる方が有利だからって言われて」

「安易ですよね」と続ければ、ははっと声を上げて笑うマルコ先生。
コンビニで紅茶をご馳走してもらって以来、ERRORのお迎えのたびに少しずつ話をするようになった。と言っても先生の方が自主的に今日は幼稚園でこんな事があったって教えてくれたり、土日はいつもあそこでバイトしてんのかいなんて尋ねてきたり。私はそれに相槌を打つ程度だ。だって、どうしたってその似合わない格好に意識がいってしまう。聞いてみたい。けど怖くて聞けない。何て聞くっていうんだ。

「頑張るのは良いが、身体にゃ気を付けろよい」
「はい、ありがとうございます。じゃあERROR、そろそろ帰ろっか」
「うん! マルコせんせーさようなら!」
「おう、さようなら。気を付けて帰れよい」
「ありがとうございました!さようならー」

ぺこりと頭を下げてERRORと歩き出す。初めて見た時はとんでもない外見に驚くばかりだったけど、話してみると普通にいい人だ。紅茶もご馳走してくれたし。

ERRORー、マルコ先生って入園した時からいたっけ?」
「うん、いたよ!」
「マジか。全く気付かなかったわ……」

先生たちの顔は全員覚えたと思ってたけど、それは違っていたらしい。あんなにインパクトのある人なら初日に覚えていておかしくないはずだけど、おかしなことがあるもんだ。

「あのね、パパがにゅーいんしてるんだって」
「え、マルコ先生の?」
「だからさいしょはおやすみいっぱいだったよ」
「へぇ……そうなんだ」

そうか休んでたのか……それじゃ知らなくて当然か。お父さんが入院してるとなると色々大変そうだもんなぁ。我が家のお父さんはまだまだ元気でいてもらわないと。

「リサちゃん、きょうのごはんなーに?」
「今日はお魚だよ」
「おさかな!」
「いっぱい食べて大きくなるんだぞー」
「うん! ERRORね、マルコせんせーとおなじがいい!」
「え、」

あんなにでかくなるの?可愛くないよ?可愛いままでいてくれて良いんだよ?

「………じゃあ、いーっぱい食べないとね!」

本音を必死に堪えて、引き攣った顔で精一杯の笑顔を向けてやった。





携帯の支払いをコンビニ払いにしたのは失敗だった。二ヶ月に一回はそう思う。それなら銀行からの引き落としに変えれば良いだけなのだが、つい忘れてしまうのだ。

「携帯が止まってる……」

友達にメールを送ろうとしたら画面に現れた『送信出来ません』という文字。まさかと思って母親の携帯に電話をかけてみれば、ツーツーという無情な音。あぁ、止まった。私の携帯が止まった。支払い忘れてた。しかも支払いの紙を家に置いてきた。最悪だ。
朝から悶々としながら学校へ向かい、いつもより沈んだ気持ちで授業を受ける。一日くらい携帯が繋がらなくても困ることはないが、大抵こういう時に限って緊急の連絡とかが入ったりするんだよね。きっと支払いを忘れた罰だって神様が言ってるんだよ。十分反省してるよ!学習してないだけで。

嫌なことは続くもので、いつもよりHRが長引いた挙句に帰りの電車が止まった。人身事故の為とか何とかってアナウンスが入ったけどそれどころではない。ただの時計と化した携帯を睨みつけても時間が止まることはない。お迎えの時間に間に合わない。こんな時に限って連絡が出来ない。幼稚園にも母親にも連絡が出来ない。困った。非常に困った。

漸く電車が動いて最寄りの駅へ帰って来た時には既にお迎え予定時刻から一時間過ぎた後で。連絡もない状態で待たせるとか申し訳なさすぎる。幼稚園から母親に連絡がいってるかもしれないが、ここ最近残業の多いあの人はお迎えに行けないだろう。一向にお迎えがこない事でERRORは泣いてるかもしれない。急がなければ。急がなければ。息を切らし、数年ぶりの全力疾走というものをしながら幼稚園へ向かうと、既に照明が落とされていた。

「うわっ……! どうしよ………!」

職員室に明かりが見えたから、閉められた門を開けてそっちへ走る。入口の扉は閉まっていて鍵までかかっていた。ちょ、どうしよう……!若干パニックを起こしかけた私の目に飛び込んだのは扉脇のインターホンで、慌てて鳴らせば職員室から誰かが出て来た。薄暗い廊下を通ってこっちにやって来るシルエットはその人物が誰なのかを容易に教えてくれた。

「マ、マルコ先生……!!」
「どうしたんだい?」

若干泣きそうになってる私を驚いたように見つめるマルコ先生。いや、貴方こそ何でそんなに落ち着いてるんですか!?

「ごめんなさい!!!」
「は?」
「事故で電車が止まっちゃって……っ、携帯代払うの忘れてて連絡出来なくて……っ、ERROR……! ERROR泣いてませんか!?」

泣いてるよね!だってこんな時間まで独りで待たせちゃったんだもん!ああぁ、もう最悪だ!私ってば最悪だ!何てバカなの!携帯代支払い忘れるとか何回やれば気が済むんだよバカヤロー!明日、携帯代支払ったらすぐに支払い方法変えてやる!確か携帯から出来たもんね!

ERROR? ERRORならとっくに帰ったぞい」

そんな事を必死に考えていた私に降ってきたのは、わけの分からない言葉だった。

「………は?」

帰った?誰が?

「いつもの時間にお袋さんが迎えに来てたよい。今日は仕事が早く終わったから、って」
「……はああぁぁぁ!? 何それ! 知らない! だって連絡――あ、携帯……」

止まってるんだった。
大きな大きな溜息を吐き出してその場にしゃがみこむ。全力疾走のツケが今になってきたらしい。膝がガクガクする。何だよもー……てっきりERRORが泣いてると思ったのに……あぁそうですよ、私が悪いんですよ。マルコ先生が笑ってるのが聞こえて思わずじとりと睨み付けるのも仕方ない。だって、本当に焦ってたんだ。

「お疲れさん、頑張ったな」

しゃがみ込んだままの私の頭に大きな手が乗せられ、くしゃくしゃと頭を撫でられた。笑ってたくせにその声も手も凄く温かくて、急に恥ずかしさを覚えた私は膝を抱えたまま暫く顔を上げることが出来なかった。

「立てるかい?」

無言で頷いて立ち上がると、頭に乗っていた手が私の手を掴む。驚いて顔を上げれば、先生は優しく微笑んだまま、背後の職員室を親指で指した。

「俺ももう上がるから、送ってやるよい」
「え、わ、悪いですよ!」
「こんな暗いのに一人で帰らせるわけにゃいかねぇっての。ほら、中で待ってろい」

繋がれたままの手に引かれて、私は園舎内へと足を踏み入れた。





初めて触れた手は、思っていた以上に大きくて温かいものでした。





「あ、靴脱げよい」
「あ、すみません!」

慌てて靴を脱ぐとマルコ先生は何が楽しいのかまた声を上げて笑った。

「見てて飽きねェ奴だよい」
「……バカにしてますよね」

ほんの少しだけ唇を尖らせて言えば、先生は更に声を上げて笑う。
真っ暗な園舎に先生の笑い声が響いた。