リィシャがリサの部屋に行った。
その情報は広い広い船内を駆けてクルー達の元へと伝わった。
「だ、大丈夫か……?」
そう呟いたのはどのクルーだったか。とっとと出てけと蹴り飛ばされて医務室を追われたマルコとハルタは、喧騒に包まれる食堂で痛みに顔を顰めながらコーヒーを飲んでいた。両頬が腫れている所為でコーヒーが上手く飲めない。そして痛い。
「死んだらどうしようか」
コーヒーを飲むことを諦めたハルタが物騒なことを呟く。それに「どうすっかな」と返してマルコもカップを置いた。もう少し腫れが治まるまで飲まない方がいいだろう。これ以上服にシミを作ってなるものか。
「まぁ、何とかなるんじゃねぇの?」
ほい、と出されたのは真っ赤な真っ赤なスープ。一緒に出されたスプーンに「気が利くじゃねぇか」と笑いながら一口。マルコは天井に向かって炎を吐き出した。比喩だ。それくらい辛い。
「え、これトマトじゃないの?」
「サッチ様特製、激辛スープだ」
新メニューに考えてるんだけど、どう思う? そう言って笑うサッチの頭を鷲掴み、無理矢理に天井を仰がせてその口にスープを流し込む。
「テメェで飲んでじっくり考えろ」
実際はヒーヒー言っているだけだったが、まぁ言いたいことは伝わっただろう。
奇妙な悲鳴を上げてのたうち回るサッチを蹴り飛ばして、マルコはコックが持ってきてくれた水を一気に飲み干した。隣で笑うハルタの「うわぁ、唇がたらこだよ」なんて言葉に殺意を覚えた。
「アンタらを励ましたかったらしいんだが……」
そう教えてくれたコックが何とも言えない視線をサッチに向ける。これが自分の隊長だなんて。いや、だがこれがサッチなりの励まし方なのだと思えば――やはり最悪だ。もっとマシな方法があったはずだ。そんなことをブツブツ呟いているのを聞き流してマルコは溜息を一つ。
死んだらどうしようかとハルタは言ったが、その可能性は限りなく低い。ハルタ自身も知っていることだ。だってリサはリィシャを殺したいなんて思ってはいない。生理的に受け付けなくたって家族だ。嫌いだと思っていたって消えて欲しいなんて思ってはいない。思っていたらとっくの昔に実行している。
「どういう心境の変化かな」
目を覚まして、全てを知らされて。リィシャは何もしなかった。彼らとリサの問題だからと思ったのだろう、いつものように仕事をしていただけだ。それに苦いものを覚えたりもしたが、言うべきことは何もなかった。確かにリサと彼らの問題であり、リィシャは何の関係もなかったから。ただきっかけがリィシャだっただけだ。
それなのに、リィシャは行った。リサの元へ。そして今は二人で風呂に入っているという。どういう心境の変化だ。一体どうやってリサを動かしたのか。あとで聞いておこうと思うのは、かれこれ一週間どうにかしてリサを動かそうとしたけれど尽く失敗に終わってしまったからだ。情けない。隊長としても、兄としても。
リサは部屋から出てくるようになるだろうか。出来ることなら、彼らとやり直して欲しいと思う。一体どれが正解なのかは分からないが、それでもマルコとしては昔のように一緒に笑い合って馬鹿をやっていて欲しいと思うのだ。だって家族だ。仲が悪いよりは良い方がいいに決まっている。蟠りを残したままなんて、そんなの辛すぎるではないか。
「俺が思うに、イゾウが何か言ったんだな」
マルコ以上に唇を赤く腫れ上がらせたサッチが涙を拭いながら椅子に座った。「あれ、お前まだいたの?」なんてハルタの台詞に再び涙を溢れさせたサッチがタオルに顔を埋める。
ハルタくんひどい!
ははは、サッチきもい
そんなやり取りを眺めながらマルコはサッチが挙げた人物の名を呟く。あぁ、そうかもしれない。だってイゾウだ。
マルコもハルタも言えなかったことを指摘したイゾウだ、リサだけでなくリィシャにも何か言っていておかしくない。彼は平等を好む人間だから。日頃の彼からは到底「平等」なんて言葉は望むべくもないけれど。
「情けねぇなぁ……結局、俺ァ何もしてやれなかった」
呟きにハルタとサッチがマルコを見る。
「そんなの、俺だってそうだよ」
「ダメダメな兄ちゃんだな、俺らは」
ダメダメ。そういうことなのだろう。
リサの為と思いリィシャを船に乗せたというのに、二人の間に空いてしまった距離をどうすることもしなかった。むしろ、このままで良いなんて思ってしまった。リサが変わることを望んだくせに、変わらせない為に口を噤んだ。結果がこれだ。どうしようもない。
「考えたらキリがないよ。後悔したって始まらない、俺らはこれからどうするかを考えないと」
考えて、行動しないと。目に強い意志を宿したハルタにマルコもサッチも頷いて。廊下から聞こえてきたざわめきに、扉へと視線を向けた。
「だから! いらねぇってば!」
「駄目です!! 食事は朝昼晩きちんと摂ってください!」
あれ、この声知ってる。サッチの呟きを耳が拾ったけれど視線を向けることも出来ない。
食堂中の視線が扉に釘付けになっている中、勢いよく扉が開いてリィシャが入ってきた。その腕は誰かの、リサの腕をしっかり抱え込んでいる。
「痛ぇよ! 引っ張んな!」
「だって離したら逃げちゃう!」
「逃げる!? 私がお前に怯えてるみたいな言い方すんな!」
「じゃあ、ちゃんと隣にいてくださいね。包帯だってまだ巻き終わってないんですから――あ、あそこ空いてます」
空いている席にリサを押しやって強引に座らせたリィシャが隣に腰を下ろす。リサの嫌そうな視線など物ともしない。
「まだ痛いですか?」
「あぁ、アンタが引っ張ってくれたおかげで左肩がすげぇ痛い」
「だってリサさんが駄々こねるから」
「だっ、」
「肩が終わったら右腕ですからね。痛いだろうけど我慢してください」
まるで聞き分けの悪い子どもに言って聞かせるように、リィシャがリサに言う。こめかみに青筋を浮き上がらせたリサの顔が見えないのだろうか。まるで般若だ。女には到底見えない。生命が惜しくないのかと要らぬ心配さえしてしまったマルコは、立ち上がったハルタがリサの元へ向かうのを見送った。
「まだ治ってないねぇ」
「ですねぇ」
テーブル越しに覗き込んだハルタにリィシャがのんびり答える。リサが舌打ちをした。
「だって、リサさんたら傷口掻き毟るんですよ。塞がりませんよ」
「痒いんだよ」
「お風呂に入らないからです」
「暫く入るなってドクターに言われたんだよ」
「嘘ですね。これくらいならドクターは二、三日としか言わなかったはずですよ」
またリサが舌打ち。ハルタが笑った。
「何だ、仲良くなってんじゃん」
「なってねぇ!」
「なるんですよ、これから」
「ならない!」
「なるんです」
私、諦めてあげませんから。そう言って左肩の処置を終えたリィシャが今度は右腕を取った。途端に痛みに顔を歪めるリサに「もうちょっと頑張ってください」と断って包帯を巻いていく。副木をして巻き終えた腕を再び三角巾で吊るし上げると、今度は立ち上がり髪を掻き上げた。
「さっきも見ましたけど、頭の方はもう大丈夫そうですね」
「中身はどうだろうね」
「ハルタ黙ってあっち行って」
「中身はどうしようもありませんよ」
「リィシャ今すぐどっか行け」
リサの言葉は尽く無視された。次は足です。にっこり笑うリィシャにリサはもう何も言わずに足を上げた。黙って包帯を巻いてもらっているリサは決してリィシャを見ようとはしない。当然だ。だってリィシャを受け付けないと言っていたのだから。けれど、何故だろう。ただ意地を張っているだけのように見えてしまうのは。見てもらえないことにリィシャが気にしている素振りを見せないからだろうか。
「へぇ、上手く纏まったみたいじゃないか」
食堂に現れたイゾウが満足気に笑っている。リサは嫌そうにイゾウを睨み、リィシャはそんなリサに「終わりましたよ」と告げてにっこり微笑んだ。
「今、手懐けている最中です」
さらりと落とされた爆弾は特大級のものだった。
「お前もう本当どっか行け!! こっち来んな!!」
「何言ってるんです。ちゃんと私のことを見てくれるんでしょ? 近くにいなきゃ」
「………!!」
ぎりりと歯を食いしばったリサがリィシャを睨み付ける。それにリィシャがにっこり笑って。
「――勝手にしろ!!」
「サッチ! 飯!!」叫んだリサに「りょーかい!」とサッチが笑って厨房へと消えていく。
ハルタが笑い、リィシャが笑い、イゾウが笑い。
あぁ、良かった。
こみ上げるものを感じて顔を俯かせたマルコは、ただただそう呟いて目を伏せた。