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”ナースとして腕を磨くだけでは駄目だ”

乗船時に言われたマルコの言葉がこびり付いて離れない。
頑張れよと肩を叩かれたことが嬉しかった。必ず応えてみせると、そう誓った。

リィシャなりに頑張ってきた。頑張ってきたのだ、がむしゃらに。
だからこそ彼らはリィシャを受け入れてくれたし、今回このような事件が起きてしまった。

彼らがリサを傷つけたことは悲しくて。上手く説明出来なかったことが申し訳なくて。
けれど彼らがそんなにもリィシャを想っていてくれたことが嬉しかった。

自分は悪くない。だって、自分はただリサと仲良くなりたかっただけだ。家族全員に認められたかっただけだ。
それなのに、殴られた。彼らがリサを責めて、リサが激昂してリィシャを殴った。どうして自分が殴られなければならないのかリィシャは分からなくて。彼らがリサを傷付けてしまったことも、仕方がないことなのだと思った。

これは、仕方がないことだ。だって、受け入れてくれなかったんだから。
仲良くなりたかっただけなのに拒絶されて。ちゃんと彼らに説明出来なかったのは申し訳ないと思うが、泣いていたのだから仕方がない。だってリィシャを泣かせたのはリサだ。だからリサが彼らに怒られることも仕方がないことで。

あぁ、もう。何で。
何が悪かったって言うのよ。
きっちり纏めた髪が乱れることも厭わずにぐしゃりと鷲掴んで膝を寄せた。

マルコはリィシャを責めなかった。事情を全て説明した時もただ「そうか」と呟いただけだった。その表情は怒っているような困っているような悲しんでいるような、そんな表情だったけれどリィシャを責めなかった。
エリザも、他のナースたちも。誰一人としてリィシャを責めなかった。ただ殴られた頬は大丈夫かと問うてくるだけだった。

リサが牢から開放されて、部屋に篭って。それでも誰もリィシャを責めなかった。

勝手に早とちりしちまった。
アイツを傷付けちまった。
お前にも迷惑をかけちまった。
ごめん、ごめんな。
本当に、ごめん。

寝不足なのか誰もが濃い隈を作って、それでもリィシャにただ謝っただけだった。
殴られた頬は大丈夫かと尋ねただけだった。殴られてしまったのも自分たちが早とちりした所為だと、ただただ謝った。

もう自分は何の関係もない。リィシャは仕事に没頭した。
あとは彼らとリサの問題でリィシャには何の関係もない。原因を作ってしまったのはリィシャだったけれど、それも元を正せばリサがリィシャを泣かせたからだ。生理的に受け付けない、なんて。そんなのリィシャにだってどうする事も出来ないではないか。

時間が経てば解決するだろう。そうでなくても誰かが何とかするはずだ。リサの隊長であるハルタだったり、人一倍リサを気遣っていたマルコだったり。だからリィシャがすることなど何もない。出来ることなど何もない。だって、何をどうする事も出来ないのだから。

「本当に?」
「だって……仕方ないじゃないですか」

イゾウの問いかけにリィシャは唇を噛みしめた。
つい先程ナースの詰め所にやって来たイゾウはリィシャに言った。お前は何もしないのか、と。それにリィシャは「私にはどうする事も出来ません」と答えた。それ以外に言えることなどなかったから。それが正しいと信じていたから。

それなのにイゾウは尚も問う。本当に?と。
どうして。何で。私に何が出来るって言うのだ。だって、何をどうすれば良いのか分からない。リサはリィシャが嫌いで。彼らとリサの問題にリィシャが首を突っ込めるはずもない。

「あいつらが悪い。リサが悪い。それだけか?」
「私はただ仲良くなりたかっただけなんです。それなのに拒絶されて……泣いたってしょうがないじゃないですか。皆がリサさんを責めたことは悪いと思いますが、それでも私だって殴られました。お相子でしょう?」

その後に起きたことはリィシャはもう関係ない。関係ないと思うしかないではないか。
それなのにイゾウは言う。それで良いのか?と。

「私が謝れば良いんですか? 不用意に近付いてごめんなさいって? 私、仲良くなろうと思ったのが悪いとは思えません」

それだけは譲れない。避けられていたことは知っていた。
それでも仲良くなりたかった。だって、家族だから。家族だから仲良くなりたい――そう思うのは当たり前のことだ。
そのことを責められるのだとしたら、リィシャだって腹が立つ。自分は悪くない。絶対に、それだけは譲れない。

「まさか。お前さんが思ったことは当然のことだ」

そう言ってイゾウは続ける。

大して話もせずにリィシャを嫌いだと思い込んだリサも、
そんなリサを諌めずに目を瞑った隊長たちも、
リィシャを想いすぎて暴走した兄弟も、
皆、等しく悪いのだと。

「それから、お前さんもな」
「っ、じゃあ! 私はどうすれば良かったんですか!?」

仲良くなりたかった。全員と、仲良くなりたかった。
自分が何を間違えていたのか、リィシャには分からない。分からないから苛々する。

「アイツはな、弱い女が嫌いなんだよ」

イゾウの言う”アイツ”が誰なのかリィシャにはすぐに分かって。そして顔を顰める。

「私は、弱くありません」

リサの嫌う”弱い”がどの程度のものなのかは分からないが、大方陸で生きる女たちの事なのだろうと推測は出来た。
戦うことが出来ない、普通の女――それを弱いと呼ぶのなら、この世の大半の女は弱いではないか。
自分は違う。確かに戦うことは出来ないが、それでもリィシャにだって信念がある。譲れないものがある。弱いだなんて勝手に決め付けられては堪ったものではない。

「男に媚び売って生きる女たちが嫌いなんだと。アイツの生い立ちは知らねぇが、まぁそういう奴らを嫌うような何かがあったんだろうな」
「そんなの、その人たちの勝手だわ。だってリサさんは知らないじゃないですか、その人たちがどんな想いでそういう生き方をしているのか」
「そうだな、知らねぇ。知ろうともしねぇ。馬鹿な奴だよアイツは」

ただ、嫌いなのだ。弱いから。そういう風にしか生きれないから。強くなろうとしないから。
戦えば良いではないか。嫌なことを甘んじて受け入れる理由がどこにある?――過去にそう言っていたことがあるとイゾウが語る。その考えも理解出来なくはなくて。けれど納得など出来なくて。

「それと、私と何の関係があるんですか? 私は、」

私は違う。そう言おうとした。
だってリィシャはナースだ。娼婦ではない。好きでもない男に足を開くような女ではない。

「けど、お前はそういう風にしてあいつらに近付いた。違うか?」
「っ、そんなこと、」

ない、とは言えなかった。イゾウの冷たい視線を受けてリィシャは顔を背ける。
媚を売っていたつもりなどないが、それでも少しでも良く見えるようにとは思ったかもしれない。
だって、その方が早く仲良くなれると思ったから。好いてもらえると思ったから。

ただ仲良くなりたかっただけだ。身体を結ぶ関係になりたいと思った事などない。
可愛くないと思われるより可愛いと思われたい――そんなの誰でも思うことだ。リィシャだって例外ではない。
自分を良く見せる方法をリィシャは知っていた。無意識にだけれど知っていた。

だって、彼らは可愛いと言ってくれたから。
背が低いリィシャを見て可愛いと言って、それでも懸命に頑張るリィシャを可愛いと言って。
白ひげに血圧計を装着させることすら出来ないリィシャに、けれど彼らはからかいながらも温かく見守ってくれて。
もう!と頬を膨らませれば彼らは一層声を上げて笑い、可愛いと言ってくれる。
自分の低い身長を恨みこそすれ、歓迎したことはなかった。けれど、それでも彼らはそんなリィシャを可愛いと言ってくれたから。受け入れてくれたから。ほんの少し欲が出てしまったのだ。

「リサの目には、お前の無意識の打算がはっきり見えていた――それならどうだ?」

リィシャは答えられない。

「アイツはそういう女が嫌いで。お前が頑張っている事を知っていて。それでもお前がアイツの嫌いな女たちと重なって見えていた。だからこそ距離を置いたんだ。不用意にお前を傷付けてしまわないように」
「、ぁ」
「大事な家族を、傷付けてしまわないように」

リィシャの、為に。
それは確かにリサの為でもあったけれど、リィシャの為でもあった。
家族を傷付けたいなんて、思う者などこの船にはいないのだから。

「わ、たし」

脳裏に甦る。苦い顔で決してリィシャを見ようとしなかったリサ。
リィシャを拒絶していた。お前なんかいらないと、そう言っているようにすら思えた。
紡がれた言葉は、確かにリィシャを思いやっていたのに。

だって、知っていた。リサはちゃんと知っていた。

”アンタが仕事を頑張ってることは知ってる。皆と仲良くなろうと頑張ってることも知ってる”

それでも重なって仕方がなくて。だからこそ苦手意識を拭えなくて。
傷付けたくない、傷付きたくない――出した結論は、あまりにも当たり前のことで。
出て行けとは言わなかった。船を下りろとは言わなかった。

家族じゃないなんて、一言も言わなかった。

「お前は、何もしないのか?」

それで良いのか?本当に?
問いかけるイゾウの目は冷たくなどなかった。リィシャがそう感じただけだ。勝手に、そう思い込んだだけだ。

「俺たちは、全部知ってて見て見ないフリをした。お前とアイツの関係が悪化することはあっても良くなることはないと思い込んじまった。だから、それは俺たちの――俺の責任でもある」

知っていたのに。何もしなかった。
このままで良いと思ってしまった。それではいけなかったのに。

「なぁ、リィシャ」

イゾウが言葉を紡ぐ。懇願めいたそれにリィシャは滲んだ涙を拭ってイゾウを正面から見つめた。

「アイツを変えられるのは、お前だけだ」

だから、頼む。そう言ってイゾウは頭を下げる。
白ひげ海賊団の十六番隊の隊長ともあろう人が。一介のナースに。

「行ってやってくれ」

リィシャの答えは、とうに決まっていた。