09


医務室を後にしたマルコは、大きな溜息を吐き出した。

「ふざけんじゃねぇ」

無意識に溢れ出た言葉は誰に対してのものだろうか。

いや、もう誰でもいい。
自分も、リサも、リィシャも、ナースたちも、兄弟たちも、誰も彼もに当てはまるのだから。

自然と速くなる足で向かった先は甲板で、そこには一足先に兄弟たちへの説教に向かったイゾウがその手に煙管を携えて欄干に寄りかかっていた。
その彼と正面から向かい合う形で並ぶのは紛れもなくマルコの兄弟たちで、一様に甲板に正座をして顔を青くさせているのを見てしまえば今度は違う意味で溜息が零れ落ちてくる。

「何やってんだい」
「お、マルコ」

話は済んだのか?
正面の兄弟たちには目もくれず、イゾウは真っ白な煙を吐き出してマルコに問いかけた。
頷いたマルコは、足が痺れたのか真っ青な顔で悶える兄弟たちの合間を縫ってイゾウの元へ足を進めた。
大丈夫か?などと聞いてやるつもりは毛頭ない。話を拗らせたのは間違いなくここで正座に苦しむ兄弟たちなのだから。

「リィシャは?」
「取り乱してたよい」

リィシャの言い分を聞いて、リィシャが気絶した後のことを教えて。
家族が自分の為に怒ってくれたことに喜んで、家族が自分の為にリサを傷つけたことを悲しんだ。
真っ青な顔で震えながら「どうしよう」と呟いていた彼女をナースたちに任せ、マルコはここにいる。

ここに。
碌に話も聞かないで一方的にリサを責め立てて追い詰め、怒ってリィシャを殴ったリサを大勢で襲った家族の前に。

怒りが沸いてくるのは当然のことだ。
たとえ元凶がリィシャをこの船に招き入れた自分なのだとしても、到底許せることではない。
誰も彼もが腹立たしいのだ。

「それで? アイツは何て?」

顔を見ただけで考えまで分かってしまうのは、それだけ付き合いが長いからだろうか。
まるでこの場に二人きりであるかのように、イゾウはマルコに問いかけた。

「良く思われてないことに気付いてたから、仲良くなりたくて自分から近付いたって言ってたよい」
「そりゃまた、面倒なことをしてくれたな」

呆れを露にするイゾウに、足の痺れと戦いながらも兄弟たちが責めるような視線を向ける。
そちらに目を向ける者など、いるはずもないというのに。

「近づくなって言われたんだとよい。どう頑張っても仲良くできない。嫌いだ。生理的に受け付けない」

突如クルーたちからブーイングが上がった。

「誰が勝手に喋って良いって言った?」

懐から銃を取り出して容赦なく引鉄を引くイゾウ。
兄弟の一人が膝頭すれすれに銃弾を食らったのを見て、彼らは一斉に口を噤んだ。

目を合わせるどころか、顔を向けてももらえなかった
困ったような顔で「悪いと思うけど、どうしても無理だ」って言われた
アンタが仕事を頑張ってることは知ってる
皆と仲良くなろうと頑張ってることも知ってる
けど、それでも受け付けられないものは仕方ないだろう
今まで通りでいたい、お互い干渉せずに好きに生きればいい

リィシャが言われたというリサの言葉をそのまま口にすれば、兄弟の中の誰かが「え……?」と小さく声を漏らした。それが聞こえなかったはずがないのに、今度はイゾウは何も言わない。言ってやるほどお人好しではない。

「『嫌な思いをすると分かってて近付く必要なんてない。アンタはアンタの、私は私の好きなように生きればいい』」
「アイツらしいな」

銃をしまい込んだイゾウがチラリと兄弟たちに目を向ける。
相変わらず青褪めた彼らは、けれど先程までのそれとは違う意味でそうなっていることを、イゾウもマルコも知っている。

そうでなければならない。
未だに足の痺れに苦しんで泣きそうな顔をしている輩がいるのならば、そいつはもう家族でも何でもない。

「う、そだろ……?」
「だ、だってよ……リィシャは泣いてて……」
「リサとの間に『信頼関係』を築けなかったから泣いてたんだよい」

それが大事だと、彼女が乗船する際にマルコが伝えた。

ナースの立ち位置は何とも微妙なものだ。
白ひげはナースたちを娘だと思ってはいるが、決してそれを口にすることはない。
だからこそ、彼女たちは厳密には『家族』ではない。

それは、彼女たちを想う白ひげの配慮だ。
いつまでもこの船に乗り続けるナースはそうそういない。
殆どのナースたちは契約期限が切れると更新することなく船を下りていく。
時折、陸の男と恋に落ちて満期になる前に下りるナースもいるが、それを止めることは絶対にしない。

彼女たちは、海賊ではない。ナースだ。
彼女たちを娘だと公言してしまえば、彼女たちが船を下りた後、白ひげの娘として狙われる可能性が無いとも限らない。
下船後も安全に幸せに暮らして欲しいと願うからこそ、白ひげは彼女たちを『家族』のカテゴリに含めることはない。
あくまでも契約の上で成り立っている関係なのだと公言するのだ。

だが、公言していないとはいえ彼女たちは紛れもなく『家族』の一員だ。
入れ替わりが激しいからこそ、短時間でどれだけ信頼関係を築けるかにかかっている。
何より、船長であり父でもある白ひげの体調管理を任せるのだ。信頼出来る人間でなければならない。

リィシャの生い立ちを知る者はいない。
マルコも、白ひげさえも知らない。ただ、彼女がこの船に乗ることを強く望んでいたことだけは知っている。


図り違えていた。


ただそれに尽きるのだろう。
彼女がどれだけこの船に執着しているのか。
彼女がどれだけマルコの言葉に執着しているのか。
彼女の生い立ちを考えれば仕方のないことかもしれないが、それを知る者は誰もいない。

他のナースたちと同じように、この船を想ってくれている。
だから他のナースたちと同じように、この船で上手くやっていけるだろう。

異常とも呼べるリィシャのこの船への執着心を、誰一人として正確に捉えていなかったのだ。
嫌われていたことは知っていたかもしれない。隊長たちは気付いたのだ、リィシャ本人が気付いていたとしてもおかしくはない。

けれど、だからこそ。

リィシャはリサには近付かないだろうと誰もが思っていた。
リサから歩み寄ることが出来ないのならば、この二人の仲が縮まることはないと。
リサが彼女と距離を置くならば、この二人の関係が悪化することはないと。

マルコも、イゾウも、ハルタも、サッチたちも。
そしてリサ自身も、リィシャの行動を予測出来なかった。

あるいは、リサだけが気付いていたのかもしれない。マルコは思った。

船中を駆け回っては、クルーたちとの仲を縮めていた。
乗船して間もないからだろうか、少しでも自分を良く見せようとしていた。
身長が足りなくても懸命に頑張るのだとアピールしていた。

リィシャの言動の端々に表れていたこの船への異常なほどの執着を、リサだけが正確に捉えていたのかもしれないと。
だからこそリィシャという人間を警戒し、距離を置いた。
生理的に受け付けないというのは、本能的に彼女を警戒していた自分を納得させる為のものだったのかもしれないと。

「――で、お前らはアイツに何をした?」

マルコの問いかけに、兄弟たちはギクリと肩を強ばらせた。

「これはリサとリィシャの問題だったはずだ。テメェらが出しゃばる必要なんざこれっぽっちもねぇ」
「け、けどよ……! リィシャはリサに嫌いだって言われたって……!」
「泣くほど動揺してる人間が、事細かに説明出来るわけねぇだろうが」

即座に返された正論に彼らは口を噤み、決まりが悪そうに顔を俯かせる。

「お前らがバカだってことは知ってたが、こんなに愚かだったとは思わなかったよい」

これもリィシャが頑張り過ぎた結果なのかもしれない。
彼女は頑張りすぎた。彼らとの信頼関係を築きすぎたのだ。
過保護とも呼べるほどに彼らはリィシャに固執し、彼女を厭うリサを『敵』と認識してしまった。

一体誰を責めろというのか。
元はと言えば、リィシャという人間を正確に把握せずに『信頼関係を築け』などと言った自分が悪いのだ。

「………馬鹿なこと考えんじゃねぇよ」

俯いたマルコの頭を、イゾウが煙管でコンコンと小突いた。

「誰も悪くねぇだろ」

リサの為と考えたマルコも、
クルーたちとの信頼関係を築きたかったリィシャも、
船の平和を第一に考えたリサも、
リィシャを護りたかったクルーたちも。

「良かれと思ってやった事が裏目に出ちまっただけだ」

途中まではな。
イゾウの言葉に顔を上げれば、目を眇めたイゾウが甲板を見回して再び口を開いた。

「お前らに責められてリサがリィシャを殴った。そこまでは仕方ねぇ、リサだってずっと我慢してたんだからな。だがな、その後が問題だ」

――お前ら、リサに何をした? 何を言った?

冷めた声に、彼らの肩が跳ねる。
益々俯いた兄弟たちに、イゾウは溜息を漏らし、マルコは静かに目を伏せた。